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2014.09.19(金)

「世界一の紙芝居屋 ヤッサンの教え」出版します

カバー表紙 小

本日9月19日ダイヤモンド社より

「世界一の紙芝居屋ヤッサンの教え」

を出版します。


__

学生時代から
街頭紙芝居歴40年の”ヤッサン”に弟子入りし、
清水寺やイベントを中心に紙芝居をやっていました。

ヤッサンは京都国際マンガミュージアムで毎日口演、
国内はもちろんのこと、
近年はアメリカ、イギリス、韓国など海外も口演で飛び回り、
年商は1500万円の紙芝居屋さん。

「枠をぶっ壊してワクワクすることを考える。
 ワクワクすることには、枠はない」

「はなから実現できないと思っていることは、語るな。
 それは夢じゃなくて嘘だ」

その熱い言葉と生き様に衝撃を受け、
第7回出版甲子園(2011年11月)でのグランプリ受賞を経て、
数年がかりでついに完成しました。

やろうかやるまいか迷ったとき、
自分の居場所はここじゃないんじゃないかと悩んだとき、
背中を押してくれる言葉とエピソードを私なりに解釈をし、
本書に込めました。

本書の完成を待たず、ヤッサンは2012年8月に急逝してしまいましたが、
きっと天国で一番喜んでくれていると思います。

関係者の方々、応援してくださった皆様ありがとうございました。
厚く御礼申し上げます。

※Amazonはこちら
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2014.08.27(水)

OAAA広告エッセイ大賞受賞 「宝物」

少し前の話ですが、
第7回広告エッセイ大賞にて、大賞を受賞しました。
http://www16.ocn.ne.jp/~oaaa/most2012.html

8月25日はヤッサンの命日。
今年は三回忌でした。

この時期になると、脳裏にいろんな思い出が蘇ります。
本の出版まであと1ヶ月。
ラストスパートです。
___
「宝物」

「師匠がね、今朝亡くなった…。」
蝉の鳴き声も一段落した昨夏の末、突然の訃報だった。
「師匠」というのは、私が弟子入りをしていた「紙芝居の師匠」である。ついこの間まで、ステージに立っていたのに…。呆然と立ち尽くしてしまった。

師匠、通称ヤッサンは二六歳で駆け落ちして、着の身着のまま東京から大阪に出てきた。二八歳のとき、小さいころから憧れていた街頭紙芝居屋の免許を取得。それから四十年間、紙芝居一筋の人生を歩んできた。四人の子供を育て上げ、依頼があれば、日本全国、アメリカやイギリスなど海外にも飛んで行った。
六十歳を超えても、一日五回以上の口演をこなし、五十人近くの弟子を育てた。「自分のやりたいことで喰う」という精神を貫いた、まさに「生き様」という生き方をした人だった。

生前、師匠ヤッサンにあるアルバムを見せてもらったことがある。
「これは、俺の宝物だ。」
と取り出したアルバムは所々が擦り切れていた。受け取ると、ずっしりと重い。
私はゆっくりと表紙を開いた。一ページ目は、三十年前、四十歳くらいのヤッサンが紙芝居をしている大きな白黒写真。真っ白いスーツに身を包み、大きな口を開けてお客さんに問いかけていた。
戦後、街頭紙芝居屋は定職につかない人が、手っ取り早く稼ぐ方法でもあった。その流れから「紙芝居屋は汚い、見るな」という風潮があったという。汚い紙芝居屋のイメージを払拭したいと、オートバイに紙芝居をのせて、スーツ姿の「かっこいい紙芝居屋」として全国巡業をしていたのだ。

「次のページを開いてごらん。」
師匠に促されて、私は丁寧にページをめくった。
「おぉっ!」
私は思わず、感嘆の声をあげてしまった。見開き一面、びっしりと写真がはり付けられていた。どの写真も子供の顔顔顔…。子供の人数が少ない写真で三十人くらい、多いものだと百五十人は超えていた。
紙芝居が終わった後に撮ったのだろう。スーツ姿のヤッサンを中心に、3歳くらいから小学校高学年くらいまでの子供たちが、並んでカメラの方を向いている。白黒写真なので、一人一人の顔ははっきりとは見えない。ただ、一人残らず、大きな口を開け、はちきれんばかりの笑顔なのはよくわかるものだった。
中には顔のほとんどが口と言っても過言ではないほど、大きな口を開けている子もいた。
「みんないい顔をしてるだろう。紙芝居の口演が終わると、必ずこうして全員で写真を撮ったんだ。」
と師匠が言った。
次のページも、その次のページも、おかっぱの女の子、坊主の男の子がカメラに満面の笑顔を向けている写真が続いた。子供たちの親らしき大人が写っている写真もあった。大人たちは少し照れながらも、同じように大きな口を開けて笑っている。よく見ると、何か声に出して言いかけているように思えた。
私はたまりかねて、師匠に尋ねた。
「写真を撮るとき、何かみんなで掛け声をかけていたのですか?」
「そうだ。なんだと思う?」
師匠はいたずらっ子のような表情を浮かべて聞き返してきた。
「『ハイチーズ』じゃあこんなに口は開かないし…。『大阪』?…でもいきなりこんな笑顔にはならないですよね。えっと、なんだろう。」
私は返答に困ってしまった。

「『ハエハエ カカカー』って言ってるんだよ。」
師匠が口を開いた。

「え!?」
あまりに意外な答えだったので、私は思わず聞き返した。
「ハエハエ カカカ?ですか?」
「『ハエハエ カカカ キンチョール』だよ。」
一九八〇年代のキンチョウのCMに使われていたフレーズである。今となっては言わずと知れた名作であることは承知だが、私が生まれる前に放映されていたCMとあって、記憶になかった。

師匠は続けた。
「CMの影響は強いもんだ。当時『ハエハエ』って言ったら、誰でも知ってるフレーズだった。二、三歳の小さな子供でも『ハエハエ カカカァ』って、一丁前に言うんだよ。『ハイチーズ』と使い古した言い方をしても、子供は見向きもしない。『写真なんて、いやや。』と帰ってしまう子もいる。
俺は、決まって写真を撮るときは『ハエハエ カカカー!』と大きな声で掛け声をかけていた。するとどういうわけか、紙芝居を見終えて気持ちが高揚している子供たちはその興奮状態、一体感のまま、『ハエハエ カカカー!』ってね。耳が痛くなるくらいの大きな声、いい笑顔でカメラに向かうんだ。」
 
改めて、一枚一枚写真の笑顔を見た。なるほど、みんな『カカカー』の口型である。眺めていると、写真から『ハエハエ カカカー』と、生き生きとした声が聞こえてくるようであった。

「な、すごいだろ。俺の宝だ。こんないい顔を見られるからな。だから俺は一生、紙芝居がやめられないんだよな。」
師匠は熱いお茶をすすりながら、目を細めて言った。

それから、半年後、師匠は逝ってしまった。お葬式には、子供のころ、師匠の紙芝居を見たという人々が駆けつけていた。
「もう一回、ヤッサンの紙芝居、見たかったな。」
という声が、啜り泣きとともにあちらこちらで聞こえた。
私はふと、あのアルバムのことを思い出した。白黒写真に写っている人は来ているのだろうか。カメラに向かって『ハエハエ カカカ』と声を合わせたことを覚えているだろうか。

『ハエハエ カカカ』が切り取った、あの瞬間のあの笑顔は、ヤッサンという紙芝居屋のモチベーションの一つであり続けた。そのモチベーションが、また次の笑顔を生んでいった。

「だから一生、紙芝居がやめられないんだよな。」
と、アルバムの笑顔を見ながらつぶやいた師匠の姿は、今も私の目に焼き付いている。

「たくさんの笑顔をありがとうございました。」
多くの人を笑顔にしてきた師匠に、弟子として、また一ファンとして、感謝の気持ちを込め、白い花を手向けた。
│posted at 00:55:39│ コメント 0件トラックバック 0件
2014.08.21(木)

ブログ再開

│posted at 09:34:42│ コメント 0件トラックバック 0件
2012.11.18(日)

ヤッサン追悼口演 11/24@京都国際マンガミュージアム

yassan2.jpg




新生ヤッサン一座のお披露目をかねた、
追悼口演が開催されます。


●日時:2012年11月24日 13時~、15時~

●場所:京都国際マンガミュージアム

http://www.kyotomm.jp/event/evt/mourning2012.php



お涙は厳禁です。
ヤッサンの意志をひきついで、追悼と言えど
楽しい会になると思います。

どうそお越しくださいませ。
│posted at 01:27:01│ コメント 0件トラックバック 0件
2012.11.18(日)

ヤッサン、逝く

なかなか受け止めることができなかったのですが、
実は数か月前の8月末に、紙芝居の師匠であるヤッサンが亡くなりました。



6月までいつもと変わらず、お客さんを沸かせたり、一緒に紙芝居や本を作っていたのに…
あまりに急でした。
きっと亡くなるその日まで、
自分が死ぬなんて、
思っていなかったんじゃないかと思うくらいです。



「やりたいことで飯を喰う」
という意志を貫き、40年間紙芝居屋であり続けたヤッサン。



「生き様」という言葉が似合う人でした。

師匠が亡くなって、呆然とした頭に浮かんだ2つのこと。


■好きなことをやって生きていても、時間は意外と足らない。

■「終わり」がいつ訪れるのかわからない、怖さ。




まだまだ野望20年分はあったのに。気力だけではどうにもならないことがあるんですね。
これまでも多くを教わりましたが、死をもって、がつんと大きなことを教えてもらいました。

今できる恩返しは、本を完成させること。
音声を書き起こしながらいろいろと思いだしてはしまうけど、こつこつと。


11月24日(土)に京都国際マンガミュージアムで追悼口演が行われます。
涙厳禁のお別れ会。

出会ってから2年という短い間でしたが、濃密な日々でした。
いただいたご縁とチャンスに感謝します。


__


そして、ヤッサンがなくなっても、ヤッサン一座は、まだまだ続きます!
新生一座はすでに動き出しています。

11月24日にお披露目です。
│posted at 01:21:57│ コメント 0件トラックバック 0件
プロフィール

始毬(hajimari)

Author:始毬(hajimari)
ヤッサン一座、元京大生紙芝居師
「世界一の紙芝居屋ヤッサンの『人生を貫く7つの心』(仮)」執筆中。
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